あさが来た|広岡浅子は乳がんで死にそうになる!あさは大丈夫なの?

 

朝ドラ『あさが来た』では、あさは萬谷に刺されて重傷を負いましたが、

ようやく退院できました。

 

加野銀行へ戻ってきたあさを従業員は総出で出迎えて、

あさもさぞ頼もしく思えたことでしょう。

 

ところでこのあさの萬谷襲撃事件は、原案本の「土佐堀川」の万屋襲撃事件を

モチーフにしていますが、どうやら事実ではないようです。

 

しかし、あさのモデルの広岡浅子は重度の乳がんで本当に死にそうになっています!

 

ドラマの白岡あさも大丈夫なのでしょうか?

 

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広岡浅子は乳がんで死にそうになる!あさは大丈夫なの?

 

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広岡浅子が乳がんの手術を受けるのは、明治42年(1909年)のことです。

 

当時の浅子は既に60歳となっており、5年前に夫の信五郎を亡くして

実業家を引退し、女子教育の向上などの社会活動をおこなっていた最中の出来事でした。

 

乳がんだと判明した時点では既に病状は進んでおり、

助からない可能性のほうが高かったと言います。

 

現代的に言えば浅子の乳がんはステージ3あたりのようにも思えますが、

放射線療法や化学療法のなかった時代のことです。

 

当時よりも遥かに医学が進歩した現代でも、乳がんは恐ろしい病気のひとつとして

知られています。

 

豪胆で知られる浅子もさすがにその時は死を覚悟したといいますから、

浅子の乳がんは絶望的な状態だったのでしょう。

 

しかしそんな状況だったにも関わらず、浅子は生還します。

 

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かなりの大手術となりましたが、やはり浅子の生命力は

並大抵のものではなかったのですね~

 

また娘婿の広岡恵三(東柳啓介のモデル)が出身の東京帝国大学のつてを頼って、

帝大付属病院に入院して当時としては最新の医療を受けさせたことも大きかったようです。

 

東大病院

(現在の東大付属病院)

 

浅子はこの生還をきっかけにキリスト教へ入信することになりますが、

それほどまでに浅子も死を覚悟した証拠のようです。

 

しかしその後の浅子の教育への情熱は衰えることを知らずに、

執筆活動や講演活動などにもまい進し続けます。

 

浅子の信条を記した著書「一週一信」もその後に綴られることになります。

 

さらに最晩年には御殿場で夏期講習会を開き、市川房江や山岡花子の生き方にも

大きな影響を及ぼすことになります。

 

このように浅子のその後の活動や成果に鑑みれば、浅子が乳がんを克服したことは

非常に大きかったですよね♪

 

この時に浅子が亡くなっていれば、市川房江や山岡花子の人生にも影響が出てしまった

かもしれません。

 

ところで原案本の「土佐堀川」でも、浅子の乳がんは取り上げられており、

そこでは銀行を開業したあたりから、胸にしこりがあることに気づきます。

 

なのでドラマでももしかしたら、白岡あさにその兆候が現われるのかもしれません。

 

いずれにしても萬谷の襲撃事件で死にそうになったあさですが、数年後に

大病に冒されることになりそうです。

 

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